「環境危機をあおってはいけない」を借りてきて、ちょっと眺めてみた


まだぜんぜんデータの扱いとかチェックしてないけど、気温の経年変化や、変化の要因について、まだ我々は正確なデータも観測方法も手にしていないという気がしてきた。
一方、世界の「現在」については、いろんなデータがあるもんだな、という感触を持った。(まだぜんぜん読み進んでないんで、この感触は変わるかも)
で、あえて言うと、不確実な事象については、リスク管理という意味で「大騒ぎ」するほうが合理的(というか、生物としての人間の行動として自然)だと俺は思う。
データの「解釈方法」が100%正しいからといって、身を守れる訳じゃない。データが本当かどうか、いちいち現場に確認に行けない個人の立場としては、わーわー騒いで当局とかにプレッシャーをかけて、安全率をできるだけ高めたいという衝動・行動は不可避じゃないかと思う。
一方、そのプレッシャーの割りを食うのは貧しい人々(それに自分が含まれつつあるかもしれない)なんだろう。ただし、(プレッシャーを掛ける立場ならば、)自分がよければ他人が困っても目を瞑るのだ。
環境危機というのはマインドの問題で、自然・資源保護というのは、行動経済学と密接なかかわりがある。統計学だけでは何も起きないだろう。というわけで、ゴアはノーベル賞で、ロンボルグはクレームの嵐に晒されてしまうのではないか。
....とか書いてしまったら、読む気がうせてしまったなぁ(笑)われながら思い込みのひどい人間だ。
同じような本だけど「文明崩壊」のほうがずいぶん大人だなぁ(汗
文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (上)

文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (上)


長いものにいかにして巻かれるか、、それでいて本物の危機を生き延びるには、、という方向性は、したたかである。
人間は合理的になんか行動しやしないのだ。