日本の官僚指向社会主義と分散オブジェクトネットワーク=貨幣

「戦後の若い人」たちへの「真の」自由への渇望(=アメリカへの羨望)の障害となってきたのは、日本が社会主義国家、すなわち官僚という人的実体のgoing concernを指向する体制である、ということだったんじゃないか。
なんでアメリカのシステムが日本でうまく回らないのか!←それは日本が中国みたいなご都合主義的で官僚温存指向の社会主義国家だからさ。
東証がグローバルスタンダードにならない!とか言って憤慨してしまうのは、自分が中国に居るのだ、と、わりきってしまえば至極あたりまえのこととして納得できてしまう。
まぁ、それはいまさらな話だが、ちょっと思ったのは、楽天がぶちあげたRomeは「日本の」とかいって日本(の官僚)のgoing concernを大事にしちゃったらダメだろう。アメリカ人の力も必要だし、インド人の力も、ロシア人の力も等しく必要だ。Think global! そこでさらに話は流れて、分散オブジェクトDB、OSってのは、貨幣システムに変わりうるものだから、うまくいったら、怖い、と思う。社会官僚主義とのあつれきが、怖い、というか見ものだ。
株券が電子化され、カード社会になると、もはや個人が現物で資産を「私有」することは少なくなった。極端にいえば、資産を「持つ」には、インフラまで持たなければダメだ、という世の中だ。これは、体制の力が相対的に強くなるということだ。(けど、国民総背番号制が導入されなかったり、、という辺りは、官僚(+闇の官僚というべきアングラ組織)に不都合なことはダメ!なのである。裁量の余地、というのが、官僚が「私有できる」本質的な資産なのだろう。)
ところが、分散OSの仕組だと、すごくローコストかつtrivialなインフラ(ただ乗り可能)があれば、たとえば歩いていける範囲、に相当するもの、があれば、その上で「自分の」資産をコントロールできる幅が広がる可能性がある。API、すなわち交換可能性が高ければ、、、ということだ!

は!そうか、Ajaxというのは、各人の努力=資産の交換可能性を高めた、つまり、貨幣システムだったということだ。