僕はブロガーではない

いまや、ブログは情報発信するためにある、なんて思っている人の割合は極々少ないのだろうけど、情報収集するのに便利、という人は多いかもしれない。
自分独自のオリジナルなコンテンツ、アイデアなんて存在せず、自分の思いつきの99%以上は、すでに他人の頭の中に存在したものであるという現実認識に基づけば、ブログの上に「情報(bitの本来の意味で)」を乗っけることはほとんど不可能だし、大抵はノイズの乗った出来の悪いコピーか、突拍子も無い本物のランダムなノイズを書き連ねることしかできない。
それでも情報収集するのが便利に思えるのは、検索エンジンの存在も大きいが、これまでの情報暗黒時代と比較しての感想だと思う。S/N比を冷静に判断すれば、自分がだらだらとブラウズに寄り道する時間の長さからして、昔より情報収集のcpuサイクルコストは上がっているかもしれない。
たとえば、世の中のハウツー本の類、これらを分野ごとに普通の出来の「教科書」1冊に集約できたとしたら、身近な零細書店でも「世界中の有効な知識」を大部分詰め込むことは今でも可能なんではないか?
ロングテール、それをうまく利用するには膨大な計算コストが必要だが、それを消費者の「生物学的な」頭で飲み込む必要は無いはずだし、実際不可能だ。
そこで、どのように軌道修正すれば良いか?
ひとつには、得られる情報の、自分の人生へのリターンとそれを取得するための「自分の時間・アタマ」のコスト、リスク(分散)を評価してみることから初められるんではないか?
世の中進んでいるようでいて、義務教育の教科書を超越している部分ってどれくらいあるんだろう?