資本主義から市民主義へ読了

すでに「貨幣論」や「ヴェニスの商人の資本主義」でおなじみの話を除けば、印象にのこっているのは

  • カントの倫理がトートロジーに近い命題であるという話
  • ロミオとジュリエットの死が遺志となり、法となって両家を抗争から守る
  • 市民主義というのは、法や貨幣や言語といった自己撞着的実在をパニックからまもるための「憲法(慣性)」として機能する
  • 市民主義が「発見」したものは、有効であれば資本主義へとりこまれ、倫理として確立されれば法としてとりこまれていく。(そして、真理として認められれば、言語として機能するようになる、、とまでは言ってなかったかな)
  • ヒトの二重性について、インタビュアーは固執しているが、これは、monadの一形態としての「自己撞着」に並ぶ、相互依存としての実在という存在形態なのだろう。市民主義というものも、資本主義と法のはざまで、侵食(消費)されつつ逃げ水のように無限後退していく存在形態をとる。まるで「人間を規定する知性」の境界線のように