「21世紀の国富論」読み中

21世紀の国富論より、以下、とりとめもないメモ

  • あーすげー納得できる本だ!
  • たしかにベンチャーってのはそういう風にやるしかないよな。
  • 日本の金融環境でどうやるか、についても示唆的。要するに今のまま、日本の中小企業(ベンチャー含む)が生き延びるのは不可能。でも、中小企業だって、coreがあれば、そこを切り出して、自己資本を注入して、という行きかたはある、と。逆に言えば、coreが無いなら、清算を考えろと。銀行は運転資金しか貸さないのは当たり前だし、投資家からリターンを求められているベンチャーキャピタルはexitが見えなきゃ貸さないのも当然だと。だから、自分の貯金(内部留保)でなんとかしろ、と。
  • 投資イケイケの「金持ち父さん」本ですら、副業から始めろ、という。そういうリスク限定無しに、失敗する確率の高いベンチャー(起業)に手を染めるのはダメだと。
  • で、自分が納得できないものに手を出すのも無駄だ、と。

で、自分が納得できるようなモノ、自分の中に無いよな。つらい。
投資っていうのは、そういう諦めから出発するのだろうか。それじゃモチベーション上がんないよな。金が欲しいっていうアニマルな欲望を軸にすえるしかないんだろうな。でも、金=流動性=可能性を手にして、お前はどうするんだ?そういうことを考えさせないほど金って魅力的だろうか←すっぱいブドウ

ところで、Amazonの書評を眺めていると、面白い(といっては失礼か)reviewerに行き当たることがある。今回は
Amazon.co.jp: tetsuya morikawaさんのプロフィール
さんという方で、上記の本の著者と似たような世界に居たようだ。確かに散漫な本なのは目次を見ても分かる(自分も、目次だけ見てがっかりした)けれども、パンフレットとしてのインパクト重視という意味では正しい出来なのだと自分は思った。
一方、これくらい身内からの批判を浴びるようでないと、逆に意味がないかも(笑
こういう本は、人の人生を変える1行があるか、ないかが問題なのかもしれない。もちろん、整合性があって、無駄がなければ良いと思うかもしれないが、そうなると、どんなすばらしいことが書いてあっても「流されて」しまうかもしれない。
paradigmを変えるという経験は、まず、躓きが必要だと思う。転んで、そこで視点が変わるから、、、(話はずれるが、会社はだれのものかで、著者の岩井克人が糸井氏との対談で「メインストリームの大御所が転向するからインパクトがあるのだ」という話があったのをちょっと思い出した。道の真ん中に躓きの石があれば、、、)
あー、こういうこと書くと、またつっこまれそうだな。でもしょうがない。これが俺だから。

で、自分ならどうするか

スタートアップの時点では、副業とか、自分の預金とかでなんとかできるだろう。でも、モノが出来て、在庫作って、販売して、っていう一番危険なところを、融資無しでやれるだろうか?日本にはここのタイミングで金を出せるところは無いんじゃないか?
このリスク最大のポイントをやりすごすために、現在のwinner takes allの現象を生み出した情報ハイウェイを逆手に取れないか?と考える、だろう。Dellを越える受注生産体制を敷く、とかだ。たとえば、webサービスならば、Amazon EC2を使えば、ほとんどリアルタイムで設備投資できる。しかし、模倣可能なサービスでは、これはすぐに沈没確実な手法でもある。模倣不能なcoreが無い場合には、最初のshareが決定的な意味を持つことが必要だ。

自分としては、あんまり「成功の条件」が具体的になっちゃうと、足枷と感じてやる気が出ないし、かといって、誰にも模倣不能なcoreを作り出せるほどの独創性は無い。そこがきついよね。まぁ、自分の能力に自分でタガ嵌めてもしょうがないから、ピンとくるアイデアをぼけーっと考える→何も出てこない、を数十年続けてきたわけだ。