フリーなドキュメントはあっても、フリーな契約書は無いよな

以下、フリーソフトウェアとフリードキュメント | SourceForge.JP Magazineを読んでの雑感。
要するに、GPLのパッケージの中に、権利関係などを記載した文書をただのテキストのフォーマットで配布してるから混同がおきやすいのではないかな。明らかに契約の文書なんだから、改竄防止のために署名などが入っていてしかるべき。
したがって、契約の文書は「データとして処理・編集されるべきテキスト」として存在するよりも、契約のプロセスに含まれている「プロトコル」になっていけばいいと思う。
GPLの契約内容のテキストをそのまま複製して配布していく、というのは、原始的ではあるけれども、一つのプロトコルだった。そのコスト(+必要とされるリテラシー)は低いので、普及に役立った面があるだろう。
でも、それが未来永劫続くべきだとも思わない。
例えば、コードのrepositoryのインフラがそれをすればいいじゃないか。Creative commonsのメニューの中から、大体我慢できるものを選択して、「この権利内で配布してね」とrepositoryに投入する時点で決めればいいだろう。
そうなった場合、「改変しちゃまずいよな」という「テキスト」に触れる必要は無くなる。
で、いまどきのrepositoryって、そうなっているんだっけ?(いつもこれだな。

一方、テキストの著作権というか同一性の保持というかについては、これも認証・改竄防止の情報を埋め込んでおいて、「それ以外はすべてまがいもの扱い」でいいんじゃないだろうか。この程度の手間は、著作権者にとって致命的とはあまり思えない。いずれにせよ、そういう手間なしには「俺のモノ」という主張の検証もしようがないではないか。