遅延隠蔽かlatency hidingか

池田信夫氏のブログに触発されたわけではないが、検索で日本語と世界の違いがどうか、という実例かもな。

普通にGoogleでlatency hidingで検索してみた:

Web全体から検索してみた:

中身はまだぜんぜんみてないけど、クリックしたくなる記事の数は違うなぁ。

で、なんでlatency hidingなんていうtermを思いついたかというと、並列(分散)処理のさまざまな形態のPROS/CONSを考えていて、こういう記事は英語で書いたほうが反応良いのかしら?とか考えたからだ。

  • 英語使っている人はnativeでなくても(nativeでないからこそか?)ネットの利用リテラシーというかコミュニケーション力が高い気がする
  • techyなgroupの中で日本語しゃべる人の比率低いし、情報の一次ソースである人ってのはものすごく少ないような気がする

あくまでリテラシーの問題とかは「気がする」だけだが、統計的には、やっぱ英語で情報やり取りしたほうが有利だよな。

追記:やっぱ翻訳ってのは勉強目的だな

翻訳した記事をWikiとかに晒しておくのは、ちょっとどうかと思うようになってきた。翻訳や自分なりの要約(ノート作り)を行うのは、勉強の手段としては最高だと思うのだけど、その結果としてできたテキストは、「何がしかの知識・ノウハウを身につけた自分」の残りカスだともいえる。
他人にとっては、あくまでも入門のとっかかりを提供するもの以上の働きをしてくれるとは思えない。
突っ込んだ内容の記事は、大抵はそのうちの一部だけが自分にとって必要で、あとはその知識の
背景に過ぎないことも多い。それを丁寧に全部訳して公開する労力に見合う結果が得られるわけではないだろう。そして、それを必要とする人々も限定される。
そして、突っ込んだ記事を読み込み、咀嚼して、自分なりのノウハウと結合した結果を世に問うとき、日本語で書くのはためらわれる。
本当にユニークな結果が得られたのなら、ユニバーサルに問いかけたいではないか?で、そのトレーニングをしとかないってのは、余りにも敗北主義に染まりすぎだと思うので、今後は「output」は英語、もしくはソースコード(これも解釈系:interpreterが遍在する)でしてみようと思う。

素人の興味を惹くような記事は、日本語でもいいかな。双方のコストは低いし、日本語nativeで、さまざまな分野の素人として、受け手のこともよく分かってるからな。