学会ってのはお偉いさんゲームや知的財産権のためにある場であっていいのか?今の学会がそうならYA学会を

いまさら自分のような人間がこんなことを言い出してもLessigのくしゃみほどの影響も世の中にないだろうし、wikipediaからノイズが消えるわけではないけど、思いついてしまったので、ここに書きとめておく。暴論というより、未整理であることをお断りしておく。
特許とか知的財産権とか、tenureを得るための血みどろの苦労とか、、、scienceの名にふさわしいoutputを得るためのシステムとして、現状の学会というのは全然適していないのではないか、というのが、「生物と無生物の間」や池谷裕二の著作などを読んでの感想だ。*1いやまったく、こういうのが「残念」というのかもしれん。
。。。という方向にベクトルが向いてしまってはつまらない。
世の中、インターネットで「知の高速道路」が張り巡らされたわけだが、その行き着く先がopenなネットワークの恩恵にあずかっていないのは不思議だ。そもそもCERNがWebのゆりかごだったわけだから、話はぐるりを輪を描いて、科学の業界構造改革へと向かうべきだろう。いわゆる学会というものが既得権益の延命機構になりさがっていないか、検証されるべきだ。
たとえば、Spike Train Data of Functional Multineuron Calcium Imaging (fMCI)こういう風にopenに活動することが、科学者として一つのrole modelであって欲しいと思う。
個人の素養にはばらつきがあるから、アイデアを出すことは優れていても、それを伝えることが苦手な人はもちろん居るだろう。でも、それならばなおのこと、そのアイデアを伝える努力は人一倍すべきなのだ。
多くの人の目に晒されることで、多くのフィードバックが得られる可能性があるが、それよりも、多くの人に伝えようとする過程で、brush upされていく効果も無視できない。これまでは査読というシステムが存在したが、それはスケールしないし、複雑な利権関係や腐敗を生みやすい。
だったらオープンにしちゃえば。
王様は裸になるべきだ。定期的に。
それでもなお、何か着る必要があるとすれば、それは無駄なものではなかったと分かるかもしれない。

*1:「物理学者、ウォール街を往く。」とかも思い出される