やや感傷的なex-日記オヤジの繰言

friendfeedfacebookに買収されたという話を目にして、まず最初に思ったのは「exit成功して良かったなぁ。お疲れ様」である。以下、たわいも無い話、かつ、第一印象だけで書いていて、全然裏もなにも取れていない時点で書いたメモなんでスルー宜しくお願いします。
もう10年近く昔だが、ベンチャーのスタートアップというものを半年ほど経験させてもらった。日々札束が燃えて消えていく、あのプレッシャー。そして、ほぼ例外なく事業は行き詰まり(成長すれば成長するほど、資金繰りは厳しくなり、初期の資本だけではどうにもならなくなる)なんらかのexitを模索することになり、いずれにしても、最初にあった会社およびビジネスは消滅|発展的解消することになる。もしくはプレッシャーについていけなくなって、自分から離脱することになる。
そのときの虚脱感。安堵感。
まず、そんな目線でニュースやfriendfeed上の記事を眺めていた。
しかし、ユーザ達はそんな暢気な様子ではなかった。ユーザの大部分が文句を言っているとは思わないが、目に付くユーザは何かしら不安・不満をぶちまけていた。はてなのネットイナゴほどではないのかもしれないが、リアルタイムでずらずら見せられたらかなり消耗してしまいそうな奔流のようだった。
coolest service, but no one useと言われてたんじゃなかったのか?
単に面白いおもちゃを取り上げられた(取り上げられるかも?)という話だけではないらしい。
friendfeedはオープンで、ユーザが好きなだけ弄れるシステムだった。APIを直接叩くような猛者はほんのかぎられた人数だっただろうが、フィードをまとめて自分の読みたいもの、見せたいものを作りこみ、自分の宝とする、という投資の対象として、ひどく魅力的だったに違いない。
friendfeedは3D画像こそ無いが、よく出来たsemantic-セカンドライフだったと言える。
friendfeedにのめりこんだ人達は、そのうち、自分の周りに同類が一杯いることを発見する。世間的には自分はマイナーかもしれないが、この仮想世界の「この場所」ではメジャーである。。。ネットワークが世界を小さくするたびに起こる、あの現象だ。
そうしてコミュニティと価値創造のエコシステムが出来上がっていた。
でも、それに皆が気づいたのは、コミュニティの土台が揺らぎ、システムを魅力的にしていたオーラ(のめりこみ)が消えたときだった。
もともと、コミュニティのシステムが永遠にfreshで有り続けることは不可能であり、のめり込み性のユーザはその一面で飽きっぽいもので、いつかは他所にもっと新しくて面白そうなおもちゃを探しに旅立ってしまうのだから、このような帰結は不可避ではあった。
では、これからどうなるか?
変わらないのはユーザだ。彼らの能力、気質、はそのまま残り、そこに新しい「のめり込み屋」も参加して、また別の場を作り、集うだろう。ユーザ自身もゆるやかに変化し、彼らに提供されるシステムの技術や社会環境も多少は変化するから、決して今と同じものになることはないが、そこで多くの見知った顔に出会えるはずだ。
それはSSWの連中が今でも勉強会をしているようなモンである。
だから Folks, please be calm down. See you again, in another space, another time.

追記:コミュニティとそこで発生するクリエイションということでつながるもの

やや強引だが、これを紹介しないのは片手落ちだろう。

パターン、Wiki、XP ~時を超えた創造の原則 (WEB+DB PRESS plusシリーズ)

パターン、Wiki、XP ~時を超えた創造の原則 (WEB+DB PRESS plusシリーズ)


日本の皆さんで、話が全然見えていない方でも、上記の本に興味を持ったなら、friendfeedがらみの話題を掘ってみるとinterestingかも(面白い、というのはちょっと違う)

追記:自戒

「こういうの、昔もあったよね。Q.E.D.」で終わらせないこと。歴史は繰り返すけれども、常に同じではない。しかもこの場合、参加者が全然違うタイプである。何かが起こるかもしれない、いや、起こすんだ。ぐらいの気合は常に必要だ>自分。