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twitterがわからんと嘆いていた自分に

これはどう使うものなんだろう?と悩んでいた。
twitterはこう使うものなんですよ」という取説があって、自分はそれを読んでいない。そう思い込んでいた。
おそらく、そういう取説は無かった。無くても良いことになった。少なくとも自分にとっては。
それは、friendfeedを使うようになったからかもしれない。
とても機能がたくさんあって、「どうやって使ったら良いんだろう」=「正解の使い方」が分からない。という悩みを持ったものだ。
でも、自然と「自分はこういう風に情報をまとめたい」という気持ちになり、その目的のためにfriendfeedを使って(というか、friendfeedの世界の中に自分専用の道具を創り込んで)いくようになった。
friendfeedは工作室だった。
工作室をどう使うか、という悩み方をする人は居ない。何かを作るからその部屋に入るのだ。
twitterはその点、少し分かりにくい。twitterは紐のようなものだ。どうしても、紐の「中に」「本来の」使い方があると思ってしまいがちだ。
そうじゃない。紐は目的を持って使うときに道具になるのだ。コップとコップを繋げて糸電話にしようと思うとき、紐は情報の媒体になる。ものを束ねるとき、紐はストレージになる。
自分の中の「こうしたい」が空っぽならば、紐はそこにだらんとしているだけだ。
twitterのわかりにくさは、「こうしよう」という気持ちにさせるaffordanceが欠けているという点にあるのだろう。
ごちゃごちゃしていて魅力的なgadgetに満ちたfriendfeedの「工作室」は、きわめて分かりやすかった。
というわけで、twitterのtimelineを娯楽として「受動的に愉しませてもらおう」という人はすぐに退屈してしまうのではないかしら。
timelineは演奏してこそ面白い。偶然の出会い。call & response。突発的なソロの展開。予定調和。ドンデン返し。
投げかける何モノかを持たない(twitterに対して持てない)人には向かない。