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Socnodeは何であらねばならないか、何である必要はないか

この記事はもっとちゃんとした記事のベースにしたかったが、内容が発散してしまったので、メモのままで止めて、別に書き始めているので、ここでお焚き上げ。
内容について、今では自分の意見が変わっている部分も多い。
分散SNSということ。しかるに目的は?元記事にもあるとおり。
communityをわれらの手に。
電子メールのシステム、それはSocnodeのインフラとして必要十分である。ネットニュースもそうだ。
だから、Socnodeは新規開発することに意義がある、とは一概にいえない(無いとも言えないと思う)。

さて、ここで一つの問題提起が出てきた。「われわれ」の定義だ。

R. Scobleが言い出した「community崩壊の熱力学」それはnewbyのS/N比が必然的に低下していくということを指している。newbyそれは「われわれではなかったわれわれ」である。

われわれではないもの、それをどう取り込むかということについては、commentもそうだ。

subscribeしあうnode同志で情報を「realtimeに」共有する、それがsocnodeの初期実装の眼目だった。


一方、commentというのはsubscribeの関係の外部からもくる。それをどうするか。
・まず、悪質なものでないか、というチェックがある(SPAM, Virusチェック)
・そして、信頼できるものか、salmon protocoのsecurity部分はwebfingerなどのデータベースと、そこから派生するPKIによる署名、認証、
・さらに有用そうか、という話では、reputationシステムが機能する必要がある。(有名人からのコメントしか受け付けない、というpolicyだってあるかもしれない)
・外部から見たとき、nodeが発信している情報が有用である以前に、なんらかの信頼性の裏づけとなるものを持つか、という話もある。そして、これも、commentと同様の署名、認証、reputationシステムに繋がる。

・さらに、外部からの情報を同定した後で、それをどう処理するか、というpolicyの問題がある。subscribeの関係以外はcommentを認めないというのも一つのpolicyである。moderateする、というのもある。(MLの処理系ではすでにこのようなpolicyが実装されている例は多い)。