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接続された男

自分はdigital nativeとかいう言葉にはなんとなく違和感を感じている。
自分より若い世代が、自分が使いこなせない機器を、すんなり受け入れている。つまり、自分の「老い」への恐怖が生み出した言葉だからなんだろうと解釈してる。こういう恐怖を煽る広告戦略ってすきじゃない。
そして、今子供たちが使いこなしているUIなんて、彼らが成人したころには影も形もなくなっている可能性が高い。
人間(の反射神経系)とその脳(前頭葉あたりかしら?)の可塑性はすごくて、ビデオカメラのイメージを皮膚の触覚にマッピングしてやると、視神経系が不自由な人でも映像を「見れる」ようになるという話をどこかで読んだ(池谷本あたりか)。
そんなのは特別なケースじゃん?という人は、やかんや包丁のUIと、階層型メニュー(ファイルシステム)のUIを比べてみるといい。どうしてこんなことが「自然に」できるようになったんだろう!
これを敷衍していって、ファイルシステムの情報やフィードの情報を皮膚経由で「見える」ようになったり、脳波をフィードに出来たりする方向で脳みその可塑性を生かせるような人間+インターフェースの系が出てきたら、それはdigital nativeなんだと勝手に思っている。
wearableというところから、そこまでは結構近いと思う。倫理的な壁はあるかもしれないが。