ソフトウェアライセンス本を途中までぱらぱらと読んで、、、

ソフトウェアライセンスの基礎知識

ソフトウェアライセンスの基礎知識


自分にとっていいタイミングで読めた

  • 基礎的な事例に関する知識が得られた
    • 外延的に考える基礎ができた

実在するライセンスを読み込んでいく手法は、クリエイティブ・コモンズのような構成的なライセンス構築ツールへの道としては迂遠ではないのか?

  • ライセンスは契約であり、実在する法律と同様、(行動経済学的見地からすれば)完全には合理的ではない人間からなる当事者の集団が納得して決めたものである。したがって、合理的に構築されたものと、実在するライセンスとのズレは無視できない可能性がある。
    • 言い換えると、自明な理屈を積み上げていって複雑なライセンスを構築した場合、それが現実の法律(たとえば、あるていどランダムな司法当局の判断に左右された判例によって行使が影響され得る)とうまく合致しない可能性(リスク)がある
    • もし、YES,NOでいくつかの質問で答えるだけでライセンスが発行できるようなサービスが成立した場合、それによって職を失う法律家たちが、そのようなサービスの成立を妨害する可能性はある。少なくとも、彼らからの援助は期待できない。
      • ライセンスの専門家に対して「合理化」のリスクをちらつかせてしまってはならない。少なくとも、「最初に協力すればこういう利得があります」という提示は必要だと思われる。それは、、、何だろう。
  • したがって、まずやるべきは、実在するライセンスを、それが形成された要因(完全には合理的でない当事者たちの都合:納得の基準、完全には合理的ではない法律:判例)を探っていくことになる。その上で、以下のような行動が取れると思われる。
    • 有効(判例の裏付けがある)とされる戦略を洗い出し、自らの事情に照らして、利益が最大化されるものを選択する。利益を最大化する機会は失われる(機会コスト)が、リスクはミニマムにできる。
    • 合理的(多数の当事者、もしくは当事者となる可能性のある人々の利益を最大化する)だが、まだ判例の裏付けの無い戦略について、ロビー活動を通して判例を得る。NPOなどが活動の目標として欲しいところである。FSFは、こういう団体だと自分は思っていたが、実際にどうであるかは知らない。
    • 日本だと、法律は作り上げるもんだ、という意識は薄いのだろうか?全然このあたりの感覚はわからない。本の後半部分を読めばわかるかしら。
  • 法律関係のアプローチって、観察される事象が基本法則に厳密に従うことを仮定して論をすすめ、それで問題が無いとする自然科学とは基本的に異なる。理系のソフトウェアエンジニアは、「自然科学なセンス」に照らすと違和感を抱くかもしれない。
    • ただし、自然科学の方法論にしても、あくまで「仮定」を検証していくわけで、その仮定の内容や粒度が観測結果によって覆されることは常に起こりえる。結局は事例に即して、それに矛盾する仮説を棄却していくことだけが自然科学にできることだ。
      • ただしただし(w)、形式的な論理学の世界、もしくは形式的(表示的)意味論に基づく世界ではこれは素直には当てはまらないだろう。形式的な世界では、そのシステムが自己言及性などの能力をもつ場合、ゲーデルの言うような「自らが無矛盾であることの証明」などはできない場合がある。
        • (与太)もし、法律が完全に形式的な意味論に基づくシステムだったとして、それが無矛盾であるかどうかの判例は得ることができない、というようなことになるだろうか。(そのような形式的記述になるかどうかはわからない。そもそも「自然言語」でそれがどう書けるかを議論する意味ってあるのかしらん。

追記 主導権を握るための著作権の分散対策(p.146)

  • MySQLではコミュニティからのパッチ投稿を自社で書き直してから取りこんでいるらしい。
  • OpenOffice.orgでは、ソースコードを受け付ける際に協同で著作権を所有する旨の契約をしているらしい。

リソースの有効活用をする上で、forkを避けることがbest practiceとして語られることがあるようだけれども、名声ではなく、契約によって対処する、っていう方法なわけかしらむ。