読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

早すぎる最適化とか

技術的投機。後に負債になるかも。
問題は、早すぎ「た」かどうかはわかるけど、早すぎ「る」かどうかなんか誰にもわからない。
lazy implementationで困ることが本当にあるか?という問いにすべきかもしれない。たいてい、困らない。「『これ』じゃ駄目だよ」というのは『これ』というprototypeができないと出てこない結論なので、困った状況だと考えるべきではない。困らないプロトタイプを作ることが究極の目標なのかもしらん。
でも、やみくもにプロトタイプを作ることこそ「早すぎるxx」なのではないか?いや、「やみくも」には作れない。プロトタイプはその時点での最善ななにかの一部を目指しているのだから。「一部」の選択を間違うことはあるし、最善と思ったアイデアそのものの間違いもある。でもそれはアイデアそのものをひねくり回してもわからないことだ。

基準なき最適化

これならわかりやすいだろうか?達成すべき目標が具体的でないなら、目標をどうやって具体化するか、が先だ。そのためにプロトタイプは役に立つ。達成基準=仕様だとするなら、その仕様でお客は本当に満足するのか?というテストが仕様に対して必要である。それはプロトタイプがあると便利だろう。