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気が狂っているというのは正当な評価とは言えない

crazyだと呼ばれたいですよ全く。

でも、自分はこういうことをぼそぼそ書いていくしかない。

kgbu//EN: random, dynamic and plastic network is my tool to seek the number 42kgbu//EN: resemblance means neighborhoodkgbu//EN: A virtual machine of Thinking

多分、エンジニアとして死ぬ日までこんなことをやっているはず。

singularity pointはとっくに来ている。
人間を超える知性なんて、実は大したこと無かった。人間の知性なんて大したこと無いから。

人間の知的活動、いや身体的活動のほとんどは記憶とその再生にすぎない。感覚器からの入力に対応した運動パターンの記憶を再生することで身体的活動を維持、洗練していった仕組みを元に、記憶再生のパターンのパターンを再生、変化、相互作用させられるようになった時点で人間は知性を得たと言えるのだと自分は考えている。

人間が人知を加速度的に成長させることができなかったように、集合知は特定のexpertであるプログラマだの医者だのを置き換えることは簡単にできても、次元の違う知見を見いだす効率的な手法など持っているはずもない。

知は知識の知。

意識とは記憶の連なり。

想起は身体的なcueによる。

とりあえず、そんなシステムのためのバーチャルマシンを作ってみて、なーんだ、こんなの前世紀にできてたよ、とひとりごちる予定。

人間の知性なんて大したことない、というのは言い過ぎ

人間の知性のシステムに乗っかる知見そのものに限界があるわけではない。加速度的に知性を発展させるような仕組みが、今後脳みその上に記述される可能性はゼロではない。
というか、機械(アルゴリズム)として記述可能なシステムはチューリング完全、以上の分類しかできないわけだし。
でも、今や知見はメモリやディスクにシンボルとして置いておくほうがずっと効率が良い。
もし人間の脳のシステムに「今のコンピュータシステムが意図していない動作」ができるように見えても、その効果はベイジアンネットワークと大差ないだろう。コンピュータ上に構築可能な意味ネットワーク上の混線の仕方は現物の脳よりも予測不能、または柔軟にすることが可能だろう。