意識はどう重要なのか、ではなくて、重要な脳活動と「いわゆる意識と呼ばれる事象」はどう関係があるのか?という問い

意識というのは副作用。重要な脳活動で意識と関係が深いのは何か?

今、ドミナントな脳活動

  • 過去の想起、というか過去に学習されたパターンが外界からの刺激にマッチして活性化されている
  • 現在の刺激が生存に関わるものであり、それに呼応して各種ホルモンが分泌されていて、反応が増幅されている

そして、ドミナントな脳活動を効率よく記憶する、、、ということで反復しているのではないか?ループ、ハウリング

脳活動の記録、というのは、メタな記録である。

メタ、であり、活動に関与しているのが「自己」であっても良い。というか、活動ってのは普通「自己が関与」している。

だから、自己言及的、というのがデフォ。それは意識や脳活動として特殊なことではない。そういうループがない場合、却って活性が続かず、記憶されづらい。

ビビッドな景色も、そのまま記憶することはできない。

繰り返し目から入力されるか、
一度見たものを何度もループさせるか。
ループさせるには、活動がアクティブな時間が長くなくてはならないし、頭と尻尾がつながる自己言及性は必須。そのアンカーとして「自己の身体からのsenseとフィードバック」があるのが普通。

  • 手を動かしている、、(という「記憶」)、その動きが目から入ってくる、その時に近くにあった景色、、、が記憶される、もしくは記憶を呼び出すキーの一つとして機能するようになる。
  • 心理的トラウマになるような光景を目にする>自己保存の本能と身体のホルモン系の結びつきによって、光景が繰り返される。>ホルモンに結びついた感情と景色が相補的なキーになっていく

え、意識って何かしてる?

何かする主体ではなくて、現状の意識というものが一つの線のようなものとしてある、というのは、ドミナントな脳活動をフィルターした結果が意識として認知されている可能性があるのではないかと思う。

 

フィルターって何してる?

作話、つまり合理的につながり得るイベントを時系列に並べる、ということ。

合理的、というのは、他の記憶と矛盾しない、というか強化する関係にある、ということなんだろうけど。この関係を適当に実装してみてどうなるか、というのが目下の興味である。

多分、複数の実装を競合、もしくは協力させて、一つに絞らずにエコシステムのようにできれば人間の脳に近いものになるだろう。結果としての動作は兎も角、発生による制約の下で進化(試行錯誤)をやめずに来たシステム(秘伝のタレ)としての脳と似た成り立ちであることは保証できる。

それが実際に脳と同じ働きをするかどうかは全く保証できない。

現実の自然界でも数多ある試作品はホモ・サピエンスにはならなかったし、今朝起きた時の自分の脳のスナップショットを明後日再起動したところでもはやそれは別個の脳になっていくだろうから。