1万年前の砂漠に人工知能について考える脳は存在しえなかった

人工知能や原爆について想念を抱くだけではじぶんの周りに物理的な変化は起こりえない。


では、1万年前のホモ・サピエンスが今自分がしているのと同じ思考に辿りつくことがありうるだろうか?

いたっていいじゃない?思い浮かべるだけでは未来に何の痕跡も残らないから、存在を否定できないのでは?

僕は、ないと思う。

コンピュータをタイムマシンで運んで、同じプログラムを起動するのと一緒じゃないか?

いや、昔にコンピュータはなかった。テクノロジーのバックグラウンドがなかった。

同様に、脳に言語やテクノロジーの利用を可能にするハードウェア的ニューロン接続は一万年前の脳には存在しなかったはずだ。

言語を操る脳は、言語を持たない脳とはsensorimotor的結線からして違うのだ。