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現存する言語やゲームは脳と社会的認知資本に適合するようなバイアスがかかっているだろうな(素人の意見です

そうなると、自然言語認知などの領域では脳をモデルにする意味はある。

脳(耳や視覚的情報、シンボル、身振り、そして日常という意味のフレーム)が認識できる言語しか残っていないはずだ。

(よほど有用な言語でない限り例外はないだろう。例えばプログラミング言語は機械よりである。)

ゲームもかなりの部分はそうだろう。

無限にも思える広がりのある囲碁のようなゲームでも、勝負が読めるのは当分人間の認知の領域の中のバリエーションについてだけだろう。
ゲームの公理に基づいて可能な組み合わせよりもずっと狭いところでしか対戦相手は振舞わないので、そこを読むのは無駄なのだ。

AlphaGoは完全にランダムな枝を学習するには時間が足らない。

しかし、「時々サイコロを降ってくる相手」にも対処できるためには人間の手筋よりもかなり広い領域をカバーする必要があっただろう。セドル氏に負けたのはその領域のカバレッジが不十分だったのかもしれない。(素人の意見です)