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本当にシーケンスは脳内ではメジャーなのか?

パターンとシーケンス

シーケンスが記憶される。強化されるとはどういうことか。

脳は本当にシーケンスがメジャーなのだろうか?(確信が揺らいでいる)

 

パルス列はパターンを維持するために間欠的に送られているのであって、ステートはもっとリジッドに、そしてガラッと変わるのではないか?

画像のようなパターンは、認識されてそこにしばらく活性化されてあり続ける。
そういうことなのではないだろうか?

では、シーケンスとして大域的な描像を把握するとはどういうことか?
それは無意味なのか?
視線の移ろいがどうあろうと同じ描像が形成されるのではないだろうか?

もしくは、視線の移ろいよりはカバーしているモデルの完備の度合いが問題なのだろうか?

個々のモデルを認識する場合、様々な角度からの「映像」とのマッチングが線形結合して結果として発火するのだろうか?

motorを考えるとどこからかシーケンスが出てこないと困る


動作を考えた場合、シーケンスが出てこないと困る。
動作に結びつくことはシーケンスと結びつく。
発語はシーケンスである。
意識もシーケンスである。

描像はその要素たるクオリアに近いものだろうか?

マシンサイクルはどう決まるのか?

サンプリング間隔
活性の維持時間
視床とのturn round time RTT(round trip time)
活性の立ちあがり時間>
即抑制の立ち上がり時間

感覚入力は結局はON/OFFとタイミング(PWM)

で、タイミングで問題となるのはマシンサイクル。
量子化誤差はどれくらいなのか?
不感帯はどうなのか
ヒステリシスはどうなのか?

結局、センサーからの値はパルスの0,1 になってしまう。
その正規化とタイミングへの変換が感覚器官の進化による洗練の結果であって、人口の脳や意識を考える場合には結局は生物を観察するしかない。