ゴミの山=random codeにも意味があるかもしれない

Alan kayの現在とりくんでいる、2万行で記述できるシステムについての紹介を読んで、そこからリンクされている彼の昨年1月の講演についての記事も読んでみた。
あくまで無責任な感想なのだが、現在の膨大に膨れ上がったコードを綺麗にまとめて、少数の公理的記述に押し込めることができるんじゃないか、という期待について、1900年代初頭のヒルベルトの形式主義をなんとなく連想してしまった。正確には形式主義がゲーデルによって死刑宣告(というか終身刑の宣告だろうか)されてしまうところを、だ。
おそらく、「綺麗にまとまった公理系」を持つプログラミング体系は「ランダムな」システムは記述できないんだろう。
今回はそれがいい方向に転ぶのかも。