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読書メモ:ミラーニューロン

ジャコモ・リゾラッティ(Giacomo Rizzolatti)、コラド・シニガリア( Corrado Sinigaglia)著

2009年
原題:so quel che fai: il cervello che agisce e i neuroni specchio


はじめに


    演出家ピーターブルック曰く「ミラーニューロンの発見によって神経科学は演劇界では長らく常識だったことをようやく理解しはじめた。すなわち、演技者は自分 の声や動きを観客と共有し、それによって観客が演劇に能動的に参加して舞台上の演技者と一体化できるようにしなければならない。こうした共有によって演劇 はリアリティを帯び、存在価値が出てくる。自分がある行為を行うときにも、他者がその行為を行うのを眺めているときにも活性化するミラーニューロンによって、こうした「共有」を生物学的に説明できるようになったのだ。」

運動系


一杯のコーヒー:カップを掴むまで1ページ。これを「意識」してシナリオ立て、精妙に実行することは不可能だろう。フィードフォワードとフィードバックの絶妙な交感。単純な動作の背後にある感覚(対象のsenseと身体自体の感覚etc)、動機に基づく行為同士の関連、身体の部位の配置、運動の実行(と隠れた反射)が複雑に絡み合っている。ここに至るまでの学習のプロセス、ノウハウの応用(予想) さてこれらは神経系ではどのように実装されているのだろうか?

  • 前頭運動野の構成:これまで、感覚、知覚、運動のメカニズムは明確に異なる皮質領域に存在すると思われてきたが、最近の研究によって覆された。古いモデルでは、それぞれの専門皮質との関わりは広大な連合野で処理されると考えられてきた。しかし、そのマッピングは精密にしようとすると齟齬が出てくる。思考と感覚がいつ、どこで行動になるのか、というところ野切り分けができなかった。電極で刺激して、運動を起こさせることができる部位のマッピングはだいぶわかってきた。細かくピンポイントな動きの他に、おおまかな動きをおこせる部位もあることがわかっている。そして、これらの部位が知覚と思考と運動に関してどのように活性化しているかを記録することで、関与の具合を知ることができるようになった。すると、運動野の専門性よりも、相互に複雑かつ多様な反応をすることがわかってきた。これは視覚、聴覚の情報の処理の多様性、幅広いエリアへの影響などと相似な関係である。あとは、その階層性と並行性(もしくはbroadcasting)の具合を詳細に観察していくことになる。
  • 頭頂ー前頭の回路:脳の組成的には無顆粒前頭皮質という。運動野と運動前野の階層性はセンサーとの直接の結びつき(運動野)と他の運動前野との結びつき(運動前野)で示される。また、運動前野(F6、F7野)は筋肉を制御する脊髄との接続が無くて、間接的な運動制御しかできないことも明らかになっている。運動前野はF1とは繋がっていないが運動野(F2ーF6)はF1とは繋がっている。脊髄の末端まで神経が届くのがF1だが、運動野(F2ーF5)は脊髄の途中の中間部と運動ニューロンが位置する椎弓板に到達するがそこまで。F1は運動ニューロンに直接到達する。運動前野は脊髄とはつながらず、脳幹の別の部分に繋がっている(どこ?)F2−F5の運動野からのつながり(投射)はすでに形成されている脊髄の回路を活性化してルーチンワークを起動する。F1からの投射は運動ニューロンに直接到達するので、これまで出来上がっている筋肉と神経の協調関係を無視して微妙なひねりが加えられる。入力としては、SI(第一次体性感覚野)である意識を司る部分(前部前頭葉)動機や情動の源(帯状回皮質)、そして後部頭頂葉(詳しくは今後の研究に待たれるが、以前は連合野と呼ばれてきた感覚刺激から運動への変換を司る高次の結合が存在するらしい<IMHO>ココの可塑性はどうなんだろう?</IMHO>)などからの結び付きもある。図1.6と図1.7はモジュールのI/Oを模式化したもの。F1は直接の感覚入力は無い。運動野(F2-F5)は前頭頂葉から入力を貰い、運動前野(F6、7)は前頭前皮質と帯状回皮質からの入力が多い。ただし、他の部位からの入力(結合)が無いわけではないようだ。 まとめると、運動野は感覚から入力を得て、運動の構成と制御に関わる。その動作は並列的かつ詳細。運動前野は感覚からは結合が少なく、意図や意識からの入力があるので、可能な動作のうち、取捨選択を行ったり、抑制したりという機能が予測される。
  • 最初の結論:無顆粒前頭皮質と後部頭頂皮質は相互接続したモザイクであり、並列に感覚を動作に変換する機能がある(学習によって獲得された結合であろう)。前頭前皮質と帯状回皮質と運動前野の結びつきは意図の形成や長期の計画(ルール)によって行為の適切なタイミングを見計らっている。運動系は孤立しておらず、他の感覚や意識と運動ネットワークの協調動作の結果である、と。そのネットワークの構成はすでに確認されている。感覚はその部位で運動に変換される。そして、意図、意識からの制御も可能となっている。逆に認知のプロセスと運動のネットワークの構成は大いに関係がありそうだ。

 

行動する脳

 

  • 動きと運動行為:F1は運動のdetail(例えば指の個別の動き)に関与できる唯一の部位だが、感覚からの直接入力は無い。例えばカップを掴もうとするとき、感覚と繋がって、手や口の運動を管理するF5野が働く。ただし、この機能の関わるニューロンの活動は、単純に型通りの運動制御だけ(強制された場合とか)の場合と、ある意図を元に実行された場合では違うことがわかった。例えば、指を曲げる動作はいくつかあるが、その意図に応じて、F5のニューロンの活動パターン(どのニューロンが活動するか、活動するものでも動作のどのタイミングで活性化するか)が異なっていた。したがって、F5野では行為の意図(おそらく意識できる差異)に応じてパターンがコード化されている。<IMHO>つか、意図ある行為を繰り返すことで、F5の特定のネットワーク結合が強化されて「教育」されたのだとすれば、その意図特異性は自明</IMHO>
  • 視覚ー運動特性:F5は視覚からも入力がある。その部分を切り離して調べる村田哲らの実験(視覚情報がある場合と無い場合で同じモノを掴む行為、そして眺めるだけのケースの比較ー>F5の中には眺めるだけで反応する部分があった。つまり、掴めるものを見ると、掴む動作に関与する部分が活性化する。)<IMHO>コーディングの成り立ちとして、入力条件の一部が満たされた場合には、それに関与する部分が活性化するのは自明だが、その抑制はどこにあるのか、という話だろう。差異をもっと詳しく洗いたい。多分抑制ならばF6,F7も関係しているはずだ</IMHO><ー酒田の実験は入力となる頭頂葉の前部頭頂間野(AIP)となる部分との活性化を調べた。そして、その部位が行為を支配(不可欠要素)していることを確かめるために、その部位を一時的に不活性化して、ものを掴むことが困難になっていることを確かめた。また、AIPの側では3つのカテゴリーがあり、運動優位、視覚優位、視覚・運動と、実際の行為に対応した活性化パターンがあった。
  • 把持回路:AIPとF5の相互作用の詳細=どうやって感覚から動作のフォーマットに変換するか。AIPのうち、視覚優位と視覚・運動のカテゴリーは特定の3次元形状に反応するようにできている。(立方体、円柱、輪)つまり、形状は行為と結びついている=>アフォーダンスは実在する。AIPで形態は機能と結びつけられる。それがF5に伝わった時点で、担当ネットワークは動作に集中する(というか投射の方向としてそれしかない)ところで、運動の詳細はF1だけが関与しているが、F5からF1への通信はあるので、運動の実際はF1の信号で起きる。現在のところ、F5が教育される過程をとりだした実験は無い。幼児期に長い時間をかけてなされた可能性が高い。ところで、カップのような単純な物体でも複数のアフォーダンスを発しているはずで、それらのうちの選択、調整はどうするのか?それらは意図などで行われるだろう。その回路はF6、F7だろうか?いまのところはPIP/ITがAIPに下処理した情報を入れて、それをAIPからアフォーダンスを複数出すのだが、その抑制は前頭前皮質から行われるようだ。(実装する場合はどちらでもよさそうだが、発生の段階ではどちらかしか取り得ない)まだこの辺りは決着がついていない。
  • 視覚経路:視覚情報はもともとV1から出発するが、それらが解析されて、他の部位で利用される解剖学的経路には主に2つある。背側経路と腹側経路。背側経路はAIPへ繋がり、見ることと行為を繋げることになる。一方、腹側経路はV1とIT(下部側頭皮質)を結ぶ。これはグッディとミルナーのモデルからだが、彼らのモデル全体はやや単純ではある。運動と知覚の相互関係の視点が欠けている。さらに、最近の研究では背側の流れはさらに細分化される可能性があるという、、(というか視覚情報という巨大なシグナルソースに繫がれたネットワークがいろいろ細分化されるのは当然というか、、、自明)背側回路のうち、下に潜っているのは、MT/V5から分配されていて、IPL(下頭頂小葉)に繋がる。上側(背側ー背側回路)はSPL(上頭頂小葉)につながる。形態は似ているが、機能はだいぶ違う。(その接続先が違うのだ)IPLは空間と生物学的動作に関わる。SPLはそのようなつながりがない。従って、背側ー背側の回路は、視覚情報から運動行為の構成にかかわるのはこれまで見た通りだが、腹側ー背側の回路は行為を制御するより多くのコトに繋がっている。運動と知覚の双方に関わる。
  • 行為の語彙:F5ニューロン特定の行為(動きではない)について選択的である。語彙があるといってもいい。行為についてはいくつかの視点から分類できる、行為の目的、方法、基本的動き、時間的維持(スケジューリング)など。p.60は難解だが重要。実際に掴まれるのか、眺められるだけなのかにかかわらず、カップが行為のバーチャルな極(target, limit)として存在し、運動パターンを定義し、また逆に運動パターン(の集合、カテゴリー?)によって定義される関係にある、すなわちカップの認知と「感覚-運動パターン」は同じものだ。つまり、乳幼児の認知、触って知る、という段階
  • 手で見る:「私たちは手で扱うから見る。そして、見るから手で扱える」by ジョージ・ハーバート・ミード 対象物はアフォーダンスとしてコード化される。(AIP-F5のつながり)理解すること、実際的バージョン。p.63 運動系の機能は運動の実行と制御に限定されず、物をつかむような単純な行為の場合でさえ、AIP-F5回路に含まれる運動語彙は知覚と行為の継続的相互作用を必要とするのだ。どれほど実際的(人文的知識とは遠い)であろうともこの相互作用は依然として、対象物の感覚を構築する上で決定的な役割を果たしている。それなしでは、いわゆる「高次の」認知機能の大半は起き得ないだろう。人間の生存に必要な行為の他のパターンとしては、対象物を手に取る行為、空間の中で動き、向きを定める行為、他者の行為や意図を理解する能力がある。これらがAIP-F5のような回路で説明できたとき、進歩があるだろう。

 

周りの空間
  • 物へ手を伸ばす:ものの位置の把握。経路の理解。これはどうimplementされているか?F4野。ここは運動と体性感覚などのセンサーに反応する。そのうち、触覚(体性感覚)のみ、触覚と視覚、触覚と視覚と聴覚に反応するカテゴリーがある。そして、視覚に応答する場合も、その位置が皮膚に近いことが反応の条件になっているものがある。いわば、身体が拡張された場合の体の部位の「触覚」とでも言えるものだ。「先端恐怖症」のシステムがそこにある。接触を「予期」するかのように働く。それは今後の行為の制御に当然利用されている。(だから予期だというべきか)
  • 体の座標:F4野で重要な発見は、視線がどこを向いていても、受容野の対象は変化しないということだ。目をそむけていても、腕の近くにある物体の「near miss触覚」は腕のものとして感じられる。なお、位置の座標系は複数あり、頭、首、腕、手などを中心とする座標系があり、それぞれが働く。そして、手を動かせば、対象物との距離は変化することが視覚を関与して感じられ、実際に接触する前にそれを予期することができる。
  • 近くと遠く:F4野に密接に求心的投射をしているVIP(腹側頭頂間野)には視覚受容野がある。視覚からものの位置を突き止められるのは当然として、その座標系が単一ではなくて、複数の座標系のコラムが並行して動いていることに注意。グローバルな空間モデルを各部が参照しているわけではないのだ。一方、眼球運動(saccade)を制御しているLIP-EEF回路では、動かすのは眼球だけであり、座標系は網膜座標系のみである。また、F4野で扱われるのは、あくまで「手の届く範囲、もしくは相手から触れられる範囲」近位空間である。
  • ポアンカレの決闘:F4野の近位空間という概念は、「手の届く範囲」という意味で、運動が意味を規定している。視覚的刺激がなくても、運動しているときにF4野で活性化される部分があるということが、その意味の転用を示唆していると思われる(夢のなかでの触覚?気配?)ポアンカレがいう空間の概念の起点は、距離を図る基準となるツールの存在であり、それは自分の身体である(自明)。そして、「手が届く」という運動行為から成り立っている。視覚や触覚など複数経路で図られた距離の整合は「手を届かせる」という運動、もしくは運動を想定することで実現できる。運動によってF4野が活性化されるというのは、対象との距離の参照があったと考えて良い。空間はもはやそのまま大脳皮質のどこかに表象されることはなくなり、空間の構築は運動を構成することを主な機能とする神経回路の活動に依存する。この機能は原初的であり、胎児の時点で位置を基準とした動作「指しゃぶり」などが可能になっている。生後3ヶ月までは赤ん坊は手の届く範囲を手で見つつ近位空間を構築し、視覚の届く範囲もそこに限定される。その後は視覚が拡大し、近位以外の空間の把握が可能となる。
  • 空間の動的な概念:自分が動けば近位空間は変化する。物体が動いていてもそうである。素早く近づく物体は、接近を知らせるニューロンの発火が広範囲で起きるように結線されている。さらに、自分を拡大する道具を持った場合に、近位空間が変化しうることがサルでは確かめられている。(入来篤史)
  • さまざまな行為で届く範囲:F5は行為とその対象の語彙、F4は関係:位置の体系を処理する。そしてそれは行為の目的と密接に関係がある。「カップを手に取る」行為が、それに関わるカップの運動に関わる特徴把握と、カップを把持する位置の把握を特定の結びつきを持つ。動作自体、位置自体が同じであっても、行為として違うと別のセットが起動される。そして、どちらが壊れても行為(そしてその集積としての認知)はこわれてしまう。空間無視の症状などでそれは確かめられている。

 

行為の理解
  • 標準(canonicalニューロンとミラーニューロン:F5野にあるような、運動と視覚の両方に反応することで、視覚ー運動というその系の標準(古典)的な機能を果たすニューロンを標準ニューロンという。しかし、そうではない、視覚に応答し、運動にも関与するニューロンが見つかった。自分以外の行為にも反応するという点で標準と異なる。これをミラーニューロンと呼び、サルのF5野で見つかった。さらに特異なのは、行為の対象の視覚的刺激には反応せず、手や口といった特定の部位がある物体に働きかける行為を観察した時に発火する。(対象物体のないパントマイムには働かなかった。<IMHO>これはコーヒーカップのような対象の認知が行為の大きなキーであるためかもしれないし、他にこの種のミラーニューロンがあるのかもしれない</IMHO>)分類としては、つかむ、持つ、いじる、置く、両手で扱う、などが観測された。複数をカバーするものもあった。発火の具合は、精密な一致を見せるものもあるが、70%程度はおおまかな一致だった。
  • 摂食とコミュニケーション:F5野の背側領域(手)と腹側領域(口)でミラーニューロンが見つかっている。口で行われる、食べ物をくわえる、噛む、吸うという行為にミラーニューロンがある(摂食ニューロン)他に、口で行われるコミュニケーション行為のミラーニューロンがある。これは対象物がなくても(自動詞的行為)機能するところが違う。(よくわからない部分>)コミュニケーションニューロンでは視覚反応と運動反応がまったく一致しない。これは進化(摂食からコミュニケーションへの)の結果なのかもしれない。
  • 上側頭溝・下頭頂小葉との連絡:だれがF5のミラーニューロンに視覚情報の信号を送っているか?STSニューロンは他者の動作に関する視覚情報を選択できるが、動作には関与しない。そしてF5には直接投射していない。しかし STSは下頭頂小葉と前部前頭葉を経由してAIPにはつながっているので、そこからF5への経路はある。特に下頭頂小葉のPF野とPFG野である。ここも自己の行為と、行為を観察することで反応する。頭頂ミラーニューロンと言える。
  • ミラーニューロンの機能:真似るメカニズムだとする説。観察することで運動行為の内的な運動表象が生み出される。=>そのパターンを記憶すれば、自分の運動ができる可能性がある。しかしこれはかなり高等な機能であり、それより古い種でもミラーニューロンの原初的な機能を説明しない。より正確には、行為の意味を理解する(身体の中で再構成する)機能なのではないか?要するに、他人がしていることが、自分のレパートリーにあれば、「わかっている」「意図ある行為だと認識する」ということになる。これがコミュニケーションの基礎でもあろう。その際、行為の遂行に不可欠な「視線」や「手の動き」「対象」が複雑に解釈されたSTSの情報が選択的に強化されたことは想像できる。運動のシナリオが自分に内在しているからこその視覚情報処理の選択的強化である。そして、シナリオは予期、準備を含むものであり、行為が完結してなくても、それを観察した場合には行為全体に関わるミラーニューロンが活性化される。というか、語彙がそういう形をしている。語彙というより、scenarioのvocabraryなのだ。
  • 行為の視覚表象と運動理解:
  • 行為のメロディと意図の理解:

 

ヒトのミラーニューロン
  • 初期の証拠:
  • 脳画像の研究:
  • ヒトのミラーニューロンによる他者の意図の理解:サルに見られない特性;自動詞的行為もコードされる。行為の目的の他に、行為を構成する個々の動きもコード化されているらしい。他動詞的行為で真似ただけでも反応がある。しかし、基本となる「他者の行為の意味の(内省、概念、言語を介しない)理解」という特性は同じ。<IMHO>ところで、行為の目的を視覚的に把握した段階で運動系が起動する、ということは、意識に先立って運動のニューロンが活性化する話とも通じるかもしれない。つまり、ある行為というのは、潜在的なスタートが意識に先立ってあるのが普通であり、他者の行為の認識、というのもずいぶん前からスタートしているかもしれない。</IMHO>片付けるより食べる行為のほうが活性化されるニューロンが多いというのは、触って見る時期にプログラムされたニューロンが多いということだろう。ところで、他人の心の中を読むニューロンの結合はまだ見つかっていない。というか、身体的行為として以外の「理解」というのはありうるのだろうか?「あいつはxxxだと思っている」というセンテンスを内部的に発話する以上のことができうるのだろうか?「思っている」を身体的感覚に入れ替えれば、それこそ内部的行為のミラーリングになる。そして、なぜそう「感じる」のか、その対象物の表象を何らかの形で「見ている」からこそ、それに対応する行為としての感情、感覚、意識が引き起こされているのではないだろうか?見ることは直ちに私の内部に意味を引き起こす(相当する行為の語彙があれば)
  • 語彙の違い:行為の語彙に存在しない視覚情報はどう扱われるか?例えば、犬が吠えるのを見ても、視覚情報と運動系の協同はみられない。そして、運動語彙の個人差も反映された。できない動作を見せられても「身体で理解」できないのだ。そりゃそうだ、対応する運動野の結線がないのだから。

 

模倣と言語

 

  • 模倣のメカニズム:まず模倣の定義:=(実験心理学者版:個体が自分の運動レパートリーにすでに属する行為を他者が実行するのを見てそれを再現する能力)or (動物行動学者版:個体が観察によって新しい行為のパターンを学習し、以後それを細部まで再現できるようになるプロセス) 対応問題:=そもそも他者の行為を行うことができるのはどんなメカニズムなのか?視覚から運動への変換はどうするのか?自分のレパートリーにない行為を、そのパーツからまとめあげていく仕組みとはどんなものか?レパートリーにある行為をそのままコピーするのは、視覚ー運動系の理解に近い。内部で起きていたことが、時間を置いて外部へ実現するだけ。<IMHO>そのトリガーは?</IMHO>よくわかんないけど、語彙にある行為の模倣(反復)はミラーニューロン系を外部に繋ぎ直すだけで良さそう。で、相関があるだけではなくて、不可欠であるかどうかは、ミラーニューロンの機能を一時的に停止させる実験で確認されている。そして、左右の区別も面白い、あなたの左手の動作は自分の右手でするとマッチングが高まる。
  • 模倣と学習:リチャード・バーンの説:=知らない動作を学ぶとき、すでに行為の語彙にあるものを連続していくモデル。視覚情報を手持ちの語彙で再構成するリハーサルを繰り返すことが46野で行われているらしい。(繰り返して、定着させ、それのパターンをあとで実施してみる。それがうまく行ったパターンならば、それは繰り返し実行されるので、どんどん強化される)ヒトのミラーニューロンは対象物のない自動詞的行為にも反応し、時間的側面も把握(選択性がある)ので、サルよりも模倣による再構成(学習)に有利である。しかし、ミラーニューロンだけでは学習は完了しない、再現する部分、定着させる部分についてまだメカニズムが必要である。そして、それを再現することを適度に抑制できなくてはならない。見たものをどんどん真似する男の子みたいになるし、抑制する部位(前部内側皮質領域)が障害を受けると、見たものをすぐ真似せずにはいられない患者となる(反響動作症)で、赤ん坊ができるミラーニューロンは口から舌を突き出す、ぐらい。そもそも視野が非常に近距離だが。
  • 身振りによるコミュニケーション:共通の基盤(行為の語彙)に基づく直覚的理解はミラーニューロンで実現されうる。そして身振りはそれを直接利用したコミュニケーションだ。相手の身振りを自分もつい模倣してしまう、それで相手の行為が伝わり、それをみた相手がまた反応する、、、という共鳴。でも、コミュニケーションを意図した身振りの発生はミラーニューロンからかけ離れてはいる。サルでは口でのコミュニケーションは口を使ったグルーミングなどの行為から派生したものとかんがえられる。ヒトでもそういったレベルのものはあるだろう。言語と行為の間の溝は埋まるだろうか?発話の歴史が追えるならばわかるが、、、叫び声の符号化が言語ではないか、という説との競合<IMHO>実際には複合であって構わないと思う</IMHO>ただし、叫び声は情動と強く結びついているので、それを他のコンテクストで使いづらい。また、叫び声を上げる神経回路は、通常の言語を利用するときの回路とは異なっている。言語で使用される皮質は、ミラーニューロンとの接続のほうが現実的のように見える。言語野の一つ、ブローカ野はサルのF5野に構成が似ている。しかもブローカ野はミラーニューロン系である(=行為と行為の理解に関与する)。というわけで、言語はミラーニューロン系が進化したものではないか、と考える。
  • 口、手、声:言語が動作を起源としているとする概念はこれまでもあった。そして、F5野のような口、手に関与するミラーニューロン部分が言語と密接なブローカ野に相同する事実。コミュニケーションは口の行為>言葉、手>身振りという理解の協調進化を経ているのではないだろうか?手があれば、第三者をポイントできる。 原初のコミュニケーション:=まず模倣、自分の語彙にある身振りをやってみせて、腕で指示をする。この組み合わせとしての進化。ミラーニューロン系の部位(前頭領域ー側頭頭頂領域)の進化はアウストラロピテクスからホモ・ハビリスの間(200万年前)に急激に起きている。ヒトとチンパンジーはこの前に文化している。マーリン・ドナルドの研究では、模倣の段階は150万年ー30万年前のホモ・エレクトス。25万年前にホモ・サピエンスが誕生した時点では発声を伴う手振りのコミュニケーションだろう。腕ー手を使ったコミュニケーション経路により、情動と親しい部分である発声のコミュニケーションは抑制された可能性がある。しかし、腕との組み合わせの発声となると、新しい部位が開発され、それがブローカ野である可能性がある。また、発声以前に、口の形で母音の選択(Aは大きく、iやoは小さく)がなされた可能性も古くから指摘されている。これは視覚ー運動系のミラーニューロンに適合しやすい部分だ。そして、この協調関係は、今でも、読んだり話したりするときに右手のニューロンが興奮することに現れているのかもしれない。こういった手ー口の相互作用は実験でいくつか確かめられている。さらに他者の手の行為を見るだけでさえ、口の発音に影響がある。高く(大きい)ものを見上げるとポカーンと口が開くのもそれかもしれない。ホモ・サピエンスになった段階で発話の領域と声帯が発達したが、それは可能性の話であって、他者の音声を模倣する聴覚ー運動系の調音(音の時間的区切り)の機能(エコー・ミラーニューロン)が発達していなかったらそれは利用されなかったろう。<IMHO>そして、外国語の発音の習得の困難さのレベルがそれでわかるかもしれない</IMHO>音声によるコミュニケーションの発達で、ミラーニューロンによる行為の理解機能が働き、模倣、そのサイクル、コミュニケーションへの発展があったことは考えられる。

 

情動の共有

(Fast&Slowで言えばFastの領域での働き、つかこれまでのところはすべてFastの領域だが)

 

  • 情動の役割:情動は生存に必要な基本的反応の名残であるが、それを「理解する」ところは高度な処理になる。どうやっているのだろうか?情動の語彙とその発動を視覚情報から制御するメカニズムはどこにあるか?それは運動系と関係があるだろうか?
  • ライル島で嫌悪感を共有する?:味覚と嗅覚にライル島が関与しているらしい。この島は運動というよりは、内蔵の反応と関係がある。サルでは相当する部位に刺激を与えると強い嫌悪感やムカつきを起こすことができることがわかっている。そして、他人の嫌悪の表情にこの部位は反応する。(ブルーノ・ウィッカーの実験)ところで、恐れに関わるのは扁桃体であるが、嫌悪の認識に関わる画像などでは反応しない。苦しみもミラーニューロンが存在する。<IMHO>では、他人の恐れの表情を見たとき、扁桃体は活動するのか?というか、恐れに関する運動系ってなんだろう?</IMHO>
  • 共感と情動の彩り:情動に彩りを添える(というか直ちに理解できる)のは、自分の体内の臓器の(潜在的)反応である。それを抑制しないと大変だが。

 

 

ミラーニューロン

ミラーニューロン