もったいないの生理は昭和前半だけなのかも

大正はもっと富豪だったかも

そして富豪からもったいないへの転化を見るに、ああやはり戦前とも思える、、、という話ではなく。


イチゴ先っぽだけ食いについてはこの「もったいないの生理」で反応してしまう俺
老害とはなにかと実感

先っぽだけ食うのはコンビニと同じシステム。

便利を享受する奴らは同じことしてる。のは確か。


ただ、コンビニやチェーンの廃棄物をちゃんとリサイクルするの当然であって、それを人間が食べる自由もあるはずなのではないかと思う。

(いやそこに人間がいてはまずい、という信念もあっていいと思う)


金融でも、どんどんリスクテイカーが現れることで流動性が保たれるように、資源の有効活用は100%に近づくべきなのでは、という、精一杯の自己正当化。

意識とは身体-脳のコンテクストに応じて記憶が想起されること

自己言及的想起、というのは、ハンドリガードと同様のループが起源と思われる。


というか、

自己強化的なループなので、これがいったん現れると他をおしのける。

というわけで、意識が脳に居座っているような状況が起きた。

swarm ジャーナリズムに関するメモ

沢山の目によって事実が整合チェックされる。

ならばジャーナリズム(扇情)ってのは違うのかもしれないが、耳目が集中すること自体が煽りを生むことは予想される。


整合する360写真は強化され、重複情報は捨てられる
デデューブ(コンテントアドレッシングとも通じる)

新しい情報がこれまでの情報と矛盾する場合はすぐには棄却されない
後続と整合するなら更新としてコミットされる

全く同じ視点からの情報は強化にカウントされない(デマのRTがいくらあってもダメ

重要なのは一次情報である。

多少異なる視点からの情報が相補的に強化しあう。
これは立体視やその場に入り込むような体験を促進する。

相補の経緯やそれぞれのデータの時系列は要所でブロックチェーンでタイムスタンプしたりエンコーディングの鍵にもつかわれることで首尾一貫性も保証。

タイムスタンプや相補性の履歴が崩れていないリポーターからの情報が信頼されやすい

情報の登録、更新はgithubのような「リアルハブ」がいくつかあってそこが管理

ハブでは異同はforkとして扱われてもいいだろう。単純に多数に寄せることはするべきではない。

ヤラセやパフォーマンスに対する現場でのツッコミはジャーナリズムとして必要
SR(substitutional reality)での認知的不協和からの脱出のために自分手の動き(意思の反映された事象の視覚的フィードバック)を見るのと通じるかもしれない。

キラーアプリケーションはなりあまれる部分からはこない

VRの根源的欲望を刺激する方向は確かに強い。エロとか。でも、通常は既存の大きなissueを解決することでキラーアプリケーションになる。

VRの特徴だけを見てもわからない。issueを見なければ。
ゴーグルの軍拡競争についていくだけではなくて、ゴーグルの無い世界のissueを洗い出そう。

大きなissueは既存の「キラーアプリケーションの担い手」の足らざる部分をみるのが簡単

スマホの足らざる部分

  • 持つには大きい
  • 見る、メモするには小さい
  • メモを書くにはつるつるしすぎている
  • notificationを受け取って取り出す必要がある
  • 目線が下がる
  • 注視しないと使えない。目の見えない人にはつらい

VRは無限かつ自由な表示領域を持つ
入力デバイスは不要かつどこにでもかける
notificationをアバター(agent)として可視化できる

交通機関の足らざる部分

  • 遅い。ケーブル内の伝送スピードに対して
  • ラッシュ時には不快

VRはどこでもドア
そこにいる、感覚をあたえてくれるのでFace to faceの環境に依存している人にやさしい
表情もつたえられるようになりつつある

全天球環境画像は配信できるか?[WIP]

source

https://jingr.quip.com/e3eZAZ1MSIGR

inspired by

30Mbpsをどう圧縮するか http://panora.tokyo/4725/ より


圧縮しなければ、選択しなければ、という話に成っているが、そもそもは世界は1fpsも出ていないはずなのだ。

動いているのは視点なのであって、それはローカルにデータがある

視点>表示までが30Mbps必要だということであって、リモートから30Mbps必要なわけではない。

スタティックなコンテンツならばリモートからの転送は0bpsなのだ

問題はリモートとインタラクションした時に起きる

テレイグジステンスによってリモートの世界に働きかけた結果を更新する場合にデータ転送をグローバルなネットを経由して行う必要がある。

まず遅延がある

欠落がある

結局、ある程度の時間が経過した時、givenな誤り率と帯域のメディアを通して得られる情報は極めて正確に見積もれる。そしてトレンドもだいたいわかる。

(To be suveryed)

だいたい5Gぐらいまでを視野に入れておけばいいと思う。

スペックは華々しいけれど、実際のところは「ハイパフォーマンスブラウザネットワーキング」 5.4節あたりが参考になるかな

足りない部分はどうするか

酔いを起こさなければいいのであれば、あたりさわりのないデータを低遅延で提供しておけばいい。
その後、確定した時に、これまで提供していた投機的情報との差分をとって対処する。
ある程度時間が経過したのちに、replayする場合は確定した情報に基づいてrenderingする
それで十分脳は快適なのではないか?
あたりさわりのない入力に対して、脳の内部にはいろいろな可能性を秘めた現状解釈パターンが共存可能であるけれど、その後特定のものが確定情報によって強化される結果として外界にフィットする「合理的な」記憶が残る。というモデル。

あたりさわりがない、とはどう言うことか

  • これまでと同じ状況
  • 自分の操作(manipulation)が理想的に効果を発した場合をシミュレーションして世界を変更

つまり

  • 世界のモデリング
    • 現状に存在するオブジェクトの一覧
    • 現状のオブジェクトの状態の確定値
    • 操作に対する変化分の推定値
  • 世界を変更するmanipulationのモデリング
    • 範囲の定義
    • 強度の定義(強度に対する変化分はオブジェクト側でモデルかされている)

一般的な対処

遅延について https://en.wikipedia.org/wiki/Lag

 

結局物理エンジンが扱えるモデルと操作をやり取りするってだけですか

それが理想。

今カメラで送っているもののほとんどはテクスチャ。

でも、必要なのはインタラクションできるモデルなのだよ。

脳が取り込みやすいフォーマットというものがあるならば、それを満たすデータを圧縮してやり取りすればいい。
その時、欠落や遅延がどうとかいう問題をもう一度やらないか?

 

ゴーグルをして物理エンジンの環境に入るととても安心である、という実感

逆に360度動画の中でカメラに自分の眼が縛り付けられた時の不条理感は、、、問題かもしれない。

 

これ言っていいのかどうかわからないけれど、360度画像はそれだけでは実効的リアルではない

自分がインタラクションできない世界に閉じ込められてしまう。
それはTVや映画でいいのではないか、結局、首を振るのは別の場所に足を踏み出す予備動作なのだ。踏み出せること、手に取れることが実効。
逆にいえば、それができる世界はどんなに精細な画像、描写に勝る。

視力0.1でも我々は十分に生きられる。

白内障などの病変で視界が制限されていても生きていることを疑わない。

2016年に向けて大分方向は定まってきた希ガス

https://twitter.com/ocaokgbu/status/682156535145865217

脳の追加レイヤーとして機能拡張のためのAPIを試していく。
アクチュエータからのフィードバック シースルーカメラと可視光以外の情報のoverlay PCやスマホファイルシステムへのアクセスのVR内での高効率な新解釈 被らableへ。

Gear VRやハコスコも結局高いスマホ依存のエコシステムなので、そこを壊していきたい。石板がゴーグルになることでUIの直感性が上がるとか、遅延が許される部分はクラウドに移譲するとか、遅延緩和のためにローカルなモデルでのレンダリングと事後整合性の補完とか。

有限な回線とCPUとアテンションを有効活用する方法、それは脳が教えてくれた、と言えればカッコイイけど、今は妄想にすぎない部分ばかり。でも突っ込む。前のめりに死ぬだけだと言えるけど、それ以外の人生なんて自分にはない<迷惑なタイプ

スマホ、いや直裁にiPhoneより安く上がる方策は幾つかある。いやそれは普通にXiaomiがやればそうなるけど。回線の売り方も工夫は必要。Gear VRの端末でもう十分な分野もあるのでそれならトータルで$100で毎年ファッションを変えるのは可能。スマホ捨てさす

今の不景気の根源はスマホと回線料金の高さだと思うので、それを別の回路に流すだけでかなり社会は活性化する。iPhoneにいくら使ってるか考えたら$1500のPCとゴーグルなんて2年に1セット買えるだろ。

そんだけ金払ってガラスこするだけですか!

ゴーグルかけてARでいつでも隣に嫁でもペットでもいてくれて、こっちを見て話あいてになってくれて、物の値段や地名や行き先がオーバーレイして、会議なんか行かなくてよくて、それこそ通勤もしなくてよくて、なんでそれにお金払わないかな。素敵なゲームだよという流れにしたい

narrative - serial dataの喚起力とそれに呼応する脳のアーキテクチャの限界

VRは言葉と繋がらなくては力がない


という音楽系の渋谷氏からの指摘

これはどう捉えたら面白いか

脳が処理できる、というか反応できるのは現象のシリアルなつながりではないか?

脳のニューロンの連鎖を駆け巡るものは結局はシリアルデータ

そして、それを励起させる、共鳴させるのもシリアルデータ

ナラティブとか言葉とかもけっきょはシリアルデータ

体験、もそう。

雨の匂いを嗅いで、夏休みの思い出がフラッシュバックするのも、その思い出というのも現象の連鎖

シーン、それは原因>結果みたいなシリアルが必ずある

一枚絵、で想起できる、という人もいるだろうが、人間の視覚と認知というのは1つの絵も視線を動かしてシリアルに構造を認知していく。その視線の移動こそが一枚の絵の構造と成る。

 

音楽を生業としている人なら、音の連なり、言葉の連なりというのは普通の人以上にリアル(実はこの言葉は自分にとってかなり曖昧だが)なものだろう。言葉が隣に座って自分の目を覗き込んでいるように感じられることもあるのだろう。

 

VRが言葉を重要視するべき、というのは、一枚の絵、ではなくて、事象の連なりが、人間の脳に響くよ、という指摘と読むとめちゃくちゃ自分にはよくわかるきがする。

 

ただし、その連なりというのは脳のハードウェアやファームウェアにハードコードされているものではないだろう。私的な体験が積みかさなって共鳴器を構成している。

マスに響く言葉があったとして、それは公約数的なシリアルパターンをなぞっている、ということであり、大抵の枝葉末節が削ぎ落とされた、マクロな、メタなパターンとなるだろう。

言葉。がそれなのだろう。

マスの掛け算の結果、トータルな影響力として、言葉の効率の良さは凄い。

そういうことなのかもしれない。

一方で、言葉そのものをリアルに感知できる力があって、その体験からの発言、ということなのかもしれない。それもとても興味深い事象だと思う。

 

一方で、VRは「実質的なリアルの代替物」であり、人に嘔吐させることも、心臓麻痺を起こさせることも、現時点で可能になっていると思う。

If you die in VR, you die in real life