ライセンスは変化を抱擁できるか
もともとは@kinabaさんのtweetや、そこで触れられていた「道義的には盗作」問題がきっかけで考えたことを書きます。とはいえ、具体的な事例について是非を問うことはありません。
ソフトウェアの開発者が「こんな使われ方をするなんて、、、こんなはずじゃなかった」と後悔するケースは、いくらライセンスが多様になったとしても、そして、ライセンスの内容をいくら正確に理解したとしてもなくならないだろう、ということを考えたのです。
ライセンスとは何でしょうか。自分は、価値観の表明だと考えます。「このソフトウェアについて、自分はこういう価値を認めている、だからそれを尊重してもらいたい」から、ライセンスを選ぶのではないでしょうか。
すると、いくつかのリスクがあると思います
- ソフトウェアの本当の価値を把握する前にライセンスを決定してしまうリスク
- ソフトウェアが公開された後の他人からの評価を自分の価値観だと誤解してしまうリスク
などです。
これと似たようなことは、ソフトウェアの設計や、受注契約でも発生しています。その対処方法の一つとして、アジャイルなソフトウェア開発、XPなどが発生してきたと言えるかもしれません。
ならば、ライセンスにもXPが適用できないものでしょうか。すなはち、「ライセンスとは事前の取り決め(契約)によって、後々のトラブルを未然に防ぐもの」だ、という思い込みを打破できないでしょうか。
ソフトウェアの設計・開発プロセスでは。変化は受容されるべきものとして設計開発プロセスを実施することは可能でした。ライセンスではどうでしょう。価値の評価プロセスを段階的に、当事者(開発者、利用者)の同意の上で(価値に比較して)低コストで実施することは可能でしょうか。そのようなメタプロセスのベストプラクティスとしてのライセンスがあったとしたら、素晴らしいと思いました。