翻訳の質を問う前に

よく自分もやりがちなのだけれど、橋はなぜ落ちたのか―設計の失敗学 (朝日選書 (686))にたいするAmazonでの書評では、翻訳の質についてのツッコミが目立っていた。
現在、まだ読みかけではあるけれど、非常に有益な本だと感じたので、これはちょっと問題かな。
たしかに翻訳は良いに越したことはないけれども、だからといって葬り去られてよい内容とは思えない。(皮肉なことに、本書を読むと、こういう傾向は歴史上あまた繰り返されてきたことがわかる)
この場合、自分がとるべきattitudeは何か?

  1. 自分でもっと良い訳をつける

なのかもしれないが、実はこういう翻訳スタイルは自分にとってはかなり読みやすいらしく(笑)、本書に対する自分の好評価も、そこから来ているかもしれない(汗)というあたりがちょっと、、、

とにかく、一度読んでみてほしい。
内容に感得するところがあって、真摯に、(そしてここが大事だが)新鮮にうけとめることができたなら、あなたは世の中に貢献するチャンス大だと思われる。
自分はどうも新鮮っていうところに問題がありそうだ。
「あ、これはxxの●●だな」というところで、思考停止してしまいがちだ。
それこそ本書で何度も繰り返される罠に陥っている証拠なのである。

情報処理の高負荷にさらされているエンジニア達を、この罠から救い出すことに自分の後半生を捧げたい!ぐらいに思わねばなぁ。はぁ。

関連したところで、「(品質管理担当者の)私のNoは、社長より重い」とかいう、あの懐かしいメッセージは、(本当に有効に働けば)実にすばらしいものだったのだ、と、ちょっと思い出した。