伽藍とバザールと今後の行政モデル

以下、twitterにも流せないくらいのなぐりがきのメモ。
少子化とエネルギー供給で頭を押さえられてしまっている日本で快適に暮らすには、今の行政とか企業組織ってのは、ごくごく定型の業務以外では無駄ばかり目立つような気がする。
常に変化していく市民ニーズと環境に対応するには、固定化したツリー構造(伽藍)による一元化は、その階層の多さによる非効率と、頂点でのボトルネックを生むだけ。

結局、open source開発みたいに、くちを出したいやつらがよってたかって行政のプロセスを変化させつつ動かしていくことになる。そこではbug trarcking systemによる可視化とか、さまざまなツールが必要だ。これまではそういうツールを利用するコストは大きかったし、ノウハウも少なかったが、今は違う。

集約されるニーズの生データはすべて誰でもアクセス可能(極端な話、twitterをcrawlするbotがいるイメージ)
requestもcloseの理由も、すべてのデータは誰にでも検索可能

ニーズのroutingのルール(管轄と担当者)が明示されていれば混乱は少ない

  • 前提条件(ニーズの処理者にauthorityが無いと処理が進まないこともある)
  • authorityを獲得するのは、これまでの実績に基づく(既存の行政機関の後継であることは、確かにauthorityたりうるケースもあるだろうが、それに限らない)
  • 処理できた、という実績が第一。それをチェックするのも誰でもできる。つまり確認可能な事実に基づくreputation

これをツリー構造に固定化してきたのがこれまでの行政府。しかし、ニーズは常に変化する。その際、routingからこぼれるニーズが必ずある。
routingからこぼれたものをsinkに受ける。sinkの中身も明示。
これを新たに割り振っていくのが立法府というかrule maker
このrule makerのなりたちは

  • sink watcherたる不特定多数の市民
  • rule makerとしての実績のあるauthority

ここんところの機動性をどうやって上げつつ、暴走、発散等のリスクを抑えるか。現実のopen source開発でも難しいところだが、知恵を絞る価値のあるところだ。

一番大事なのは、ruleは変化させるものだ。ということにコンセンサスを得ることなのかもしれない。今ある行政府が生まれたのにも立派な理由がある。それは確かだが、明日もこの構造が通用する保障は無い、ということも同じくらい確かだということを皆が受け入れて、そのコストも受け入れる必要がある。

日本に初めて市民が誕生するきっかけになるかもしれない。